主はいくさびと(1) (神学を学ぼう! キリスト者のための神学講座)

7月21日、第5回目の、神学講座のビデオを公開いたします。

『目には目で、歯には歯で』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。(マタイ5:38-39)
『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(マタイ5:43-44)

イエス様のこうした教えは、私たちの心を突き刺すものです。こうした言葉は、未信者にもよく知られています。しかし、旧約聖書を読むときに驚くのは、戦争の記事が非常に多いということです。しかもその戦争に、神が積極的に関わっているというのです。

あなたが、はいって行って、所有しようとしている地に、あなたの神、主が、あなたを導き入れられるとき、主は、多くの異邦の民、すなわちヘテ人、ギルガシ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、およびエブス人の、これらあなたよりも数多く、また強い七つの異邦の民を、あなたの前から追い払われる。 あなたの神、主は、彼らをあなたに渡し、あなたがこれを打つとき、あなたは彼らを聖絶しなければならない。彼らと何の契約も結んではならない。容赦してはならない。 (申命記7:1-2)

コンスタンティヌス帝によるキリスト教公認化以降、教会はしばしば積極的に戦争に関わってきました。後に学びますが、時には、この戦争が、キリスト者に対して向けられたことさえあります。

もう一方で、現代のキリスト教会、特に平和憲法を抱く現代の日本の教会では、平和が非常に強調されています。しかしそうした姿勢は、ほとんどの場合、聖書の丁寧な釈義から来ているようには見えません。むしろ、イエス様の言葉の一面、たしかに非常に重要な一面ではありますが、そこだけを切り取って、この世の左翼的運動に安易に接ぎ木しているように思えます。たとえば、日の丸・君が代問題一つをとっても、聖書の厳密な釈義からすれば、君が代を歌わないことが正しいのかと言えば、私はなかなかそうも言い切れないのではないかと思います。たとえば、ダニエルは異邦人の王ネブカデネザルに対して、「王さま。永遠に生きられますように」(ダニエル6:21)と挨拶します。

聖書から聞くよりも、この世の声に聞き従うメンタリティーは、実のところ第二次世界大戦時、韓国に神社を建て、会堂の正面に日の丸を掲げた時代の教会と変わることがありません。ですから、こういった教会の大多数は、危機が来ればすぐにこの世の風になびいて、別のことを言い出すに違いないのです。歴史が十分に証明しているではないですか。

あるいは、旧約聖書の記事を切り捨てて、「私はイエスの言葉に従う」と言えばよいのでしょうか。2世紀にマルキオンという人があらわれ、まさにこうした立場を採りました。旧約聖書の神は野蛮で、イエスの教えと異なっている。彼は、旧約聖書を切り捨て、ルカの福音書とパウロ書簡だけを正典とする教会を立ち上げました。教会は彼を異端として排斥し、旧約聖書の神と新約聖書の神は、同じ神であるとしたのです。実際のところ、イエス様も旧約聖書の権威を認めていたのです。

結局のところ、問題の解決は聖書を丁寧に読むところにしかありません。旧約聖書に記された戦争、そしてイエスの平和の教え。ここに一つの神の意志を読み取ることができるのか。
今回から数回にかけて、こうしたテーマを念頭に置きながら学んでいくこととします。

また、この講座を今後も提供するために、御理解のあるキリスト者の皆様の御支援を必要としています。この講座を存続させたいと願うキリスト者の方は、以下を御覧下さい。
献金について

今後とも、イエス・キリスト研究所では、イエスを主とし従うキリスト者に対し、良質な教育機会を提供することに努めてまいります。よろしくお願いいたします。7月21日、第5回目の、神学講座のビデオを公開いたします。

『目には目で、歯には歯で』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。(マタイ5:38-39)
『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(マタイ5:43-44)
イエス様のこうした教えは、私たちの心を突き刺すものです。こうした言葉は、未信者にもよく知られています。しかし、旧約聖書を読むときに驚くのは、戦争の記事が非常に多いということです。しかもその戦争に、神が積極的に関わっているというのです。

あなたが、はいって行って、所有しようとしている地に、あなたの神、主が、あなたを導き入れられるとき、主は、多くの異邦の民、すなわちヘテ人、ギルガシ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、およびエブス人の、これらあなたよりも数多く、また強い七つの異邦の民を、あなたの前から追い払われる。 あなたの神、主は、彼らをあなたに渡し、あなたがこれを打つとき、あなたは彼らを聖絶しなければならない。彼らと何の契約も結んではならない。容赦してはならない。 (申命記7:1-2)

コンスタンティヌス帝によるキリスト教公認化以降、教会はしばしば積極的に戦争に関わってきました。後に学びますが、時には、この戦争が、キリスト者に対して向けられたことさえあります。

もう一方で、現代のキリスト教会、特に平和憲法を抱く現代の日本の教会では、平和が非常に強調されています。しかしそうした姿勢は、ほとんどの場合、聖書の丁寧な釈義から来ているようには見えません。むしろ、イエス様の言葉の一面、たしかに非常に重要な一面ではありますが、そこだけを切り取って、この世の左翼的運動に安易に接ぎ木しているように思えます。たとえば、日の丸・君が代問題一つをとっても、聖書の厳密な釈義からすれば、君が代を歌わないことが正しいのかと言えば、私はなかなかそうも言い切れないのではないかと思います。たとえば、ダニエルは異邦人の王ネブカデネザルに対して、「王さま。永遠に生きられますように」(ダニエル6:21)と挨拶します。

聖書から聞くよりも、この世の声に聞き従うメンタリティーは、実のところ第二次世界大戦時、韓国に神社を建て、会堂の正面に日の丸を掲げた時代の教会と変わることがありません。ですから、こういった教会の大多数は、危機が来ればすぐにこの世の風になびいて、別のことを言い出すに違いないのです。歴史が十分に証明しているではないですか。

あるいは、旧約聖書の記事を切り捨てて、「私はイエスの言葉に従う」と言えばよいのでしょうか。2世紀にマルキオンという人があらわれ、まさにこうした立場を採りました。旧約聖書の神は野蛮で、イエスの教えと異なっている。彼は、旧約聖書を切り捨て、ルカの福音書とパウロ書簡だけを正典とする教会を立ち上げました。教会は彼を異端として排斥し、旧約聖書の神と新約聖書の神は、同じ神であるとしたのです。実際のところ、イエス様も旧約聖書の権威を認めていたのです。

結局のところ、問題の解決は聖書を丁寧に読むところにしかありません。旧約聖書に記された戦争、そしてイエスの平和の教え。ここに一つの神の意志を読み取ることができるのか。
今回から数回にかけて、こうしたテーマを念頭に置きながら学んでいくこととします。

講座についての詳細は、以下を御覧下さい。
http://theology.jp/theologylecture/

また、この講座を今後も提供するために、御理解のあるキリスト者の皆様の御支援を必要としています。この講座を存続させたいと願うキリスト者の方は、以下を御覧下さい。
http://theology.jp/donation/

今後とも、イエス・キリスト研究所では、イエスを主とし従うキリスト者に対し、良質な教育機会を提供することに努めてまいります。よろしくお願いいたします。

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