調布バプテスト教会にて行った礼拝のメッセージをアップロードします。
ビデオの音声は、聞き取りづらくて申し訳ありません。鼻がつまっていたせいで、発声もできていません。それで、今回は原稿もアップロードします。語っていることと大筋では変わりません)。
前回、私がここでメッセージした時のこと、皆さん覚えてらっしゃるかと思うのですが、内容は聖書の中の「つなぐことと解くこと」に関するもので、私はこれを「教会の条件」という題でお話しました。
率直な感想を伺いました。私たちには難しい、できない、そういう声も伺いました。事実、単純なことではありますが、なかなか難しいことでもあります。
他人の罪を指摘すること自体、決して楽しいことでもありませんし、多くの方が慣れてないことでもあります。また、まず人と人との関係がしっかりできていないと、罪を指摘したこと自体によってさまざまな問題が起こるでしょう。
聖書の示すメッセージを真剣に受け取ったからこそ、こうした反応が出てきたのだと思います。なぜなら、全くやるつもりがなければ、現実に起こってくる色々な問題を思いめぐらすこともなかったでしょう。
ただ、私がこのメッセージに「教会の条件」とつけたのは、この1つのこと、これを行うことを教会が忘れてしまったら、もう我々は教会でなくなってしまう、そういう意味がこもっています。
教会には覚悟が必要です。そうしたことを語っているのが、先程読んだ聖書の箇所であり、また私の今日のメッセージでもあります。